宗教についてどう思う? って言われて
こんにちは。
姪っ子が懐いてくれなくて悩んでいるmasu-0です。
さて、今日は宗教について話をしたい。
わたくし本人はというと無宗教であり、スピリチュアルな世界にも興味はない。
ただ、宗教(怪しい新興宗教は除く)の歴史的背景には興味があるし、否定的な意見は全くない。
現代を生きる多くの日本人は私同様に無宗教と言うだろう。
しかし、私たちの生活における一側面では確かに仏教やキリスト教思想が息づいている。
世の親は子どもから「死後」について問われれば「天国」なんてワードを平気で使うだろうし、お盆はお墓参り、12月にはクリスマスを祝う。
無宗教と言いつつ、私たちの生活には確かに宗教的側面が存在する。
海外の友人とビデオチャットしたときに
先日、海外在住のイスラム教徒である友人Aと電話で話をした。
友人Aは何となく言いづらそうに、
「masu-0は宗教についてどう思う? 何か考えは持ってる?」
と質問をしてきた。その雰囲気から、なにか嫌なことでもあったのかと推察できたので理由を聞くと、
「この前、日本の人からイスラムについて聞かれることがあって。
最初は質問に答えていたんだけど・・・。
だんだんと、宗教は洗脳だ、神様なんて感じたことがない、信じる証拠はあるの?って言われて悲しい気持ちになった。」と言うのだ。
個人的にはショックを受けました
その日本人の年齢は私と同じくらい(30代前半)らしい。
私はこの話を聞いて驚嘆した。何に対してなのかははっきり分からない。相手の感情を平気で踏みにじること? 自分の価値観だけで相手を論破しようとすること? デリカシーの無さ?
シンプルに、「こんな人いるんだぁ。」と言う呆れもあった。
ただただ哀しい気持ちになる。
別にこの人の考えを否定する気もない。
この人はきっと、科学的根拠に基づいて論じている。けれど、神を証明する科学的根拠などあろうはずがない。
何が言いたいかというと、信者の人とはそもそも話している立ち位置が異なっている。次元が違うといってもいいかもしれない。
私には、その日本人の発言はひどく暴力的に思えた。
神を信じないという考えがその人にとっての宗教と捉えれば、この議論がそもそもズレていることに気付けるかもしれない。
私たちは情報社会のなかで科学と手を繋いで生きている。
ただし、正論が必ずしも正解とは言えない。特に思想については自分の立場や考え方だけで論ずるのは違うのではないか。
月並ではあるが、相互理解のためには相手の文化や考え方を理解する必要性を感じた。
まずは知ることから
とりあえず私はイスラム教について勉強してみようと思う。
日本のメディアは イスラム教=恐い という印象を植え付けている。
このことの方が私にとっては恐ろしい。
なぜなら、私が知り合ったイスラム教徒の多くがとても優しくフレンドリーな人達だったからだ。
おわり👋